霊能者ヴォイス

私達は、限りある人生の中で、様々な出逢いそして別れを繰り返して生きています。
本当に良かったと思える出逢いに感謝し、そう思えない出逢いは思い出さない様にしてしまったりこれは試練だと言い聞かせ乗り越えたり・・。どの様な形であれ、一言で言ってしまえば確かに逢う運命だったと言う事にはなりますが、その出逢いの生かし方、学び方、気付き方そして引き際、つまり切り方によっては大きな違いが出てきてしまうこともあるものです。 そして良い出逢いを生かせず後から気付く事もあるものですよね。

さて今回は、私の中の少し面白い(?)忘れられない出逢いの一つをお話したいと思います。
私が幼い時から、霊的な事で呼び止められたり声を掛けられたり・・と言う事はこのヴォイスの中でもお話していますよね。その様な事には慣れていたし子供の頃はうんざりもしていたのですが(笑)これは私の霊視が口コミで広がりご依頼が増えてきた頃の出逢いです。 こうして改めて振り返るともう随分前の事ですね・・。
その頃、私はかなり精神的にも肉体的にも参っていた時期でした。それまでの仕事以外に<霊視>という仕事が増え、正直な所、もうご依頼は受けないようにしようか・・とも考えたりもしましたし、フリーの仕事(会社勤めではないので・・)とは言え、霊視との両立なんて無理と思いもしました。
これが自分に用意されている役割だとは分かっていても、どこか往生際の悪さというか・・<霊視><霊能者>という道に進んでいく事に迷いがあったのだと思います。
ご縁のある方の道標になる事・・それは分かっていても、霊視は命懸けの事も多いですし、自分の中での時間と体力等のやり繰りが上手くいかなくなってしまいそうな状態でした。

そんな折、信頼し、尊敬していた男性の方が亡くなってしまったのです。さすがに私もかなり落ち込み・・ブラックホールにはまってしまいましたね・・。
一区切りを何とか付け、仕事も最低限に抑え、ご依頼は断り・・そんな日が一ヶ月以上続きました。その間、夢でもいいから会いたい・・と願っても亡くなった知人はまるで、気配もなく・・。淡々と過ごしていました。
ある日の夕方、当時の先輩から連絡があり<これから出て来れない?>と言うのです。その先輩の親戚の知り合い(ややこしい・笑)で海外で暮らしている霊能者の方がいる事は以前から聞いていました。
何年かに一度日本に帰ってくるとも・・。「今日、連絡があってね、今こっちにいるんだって!食事の約束したから!前に電話であなたのこと話してね、そうしたら、今日会えないかなって!」という内容。急で、しかも時間がもうない!!一日中、ゴロゴロしていて支度もしていない・・それでも私は取るものも取りあえずの状態で家を出ました。
私は本当に落ち込んでいて、何とか突破口が欲しかったですし、私も人並みに悩みもしてましたし・・。その時はどうしても逢ってみたい!と思ったのです。タクシーを急がせその場所に行きました。

着くと、先輩が何人かに頼まれたらしくその方達が鑑定してもらっていました。お店が個室タイプでしたから、隅のほうに座り見ていました。
霊能者の男性は、当時50歳前後の方で、ナイスミドルという感じでしょうか・・怪しい感じはなく、垢抜けたおじ様(失礼ですが・・)という具合。入ってすぐ、目が合いましたがにっこり笑ってくれました。後から聞いたのですが、その方は貿易会社等も経営されていて、今はほとんどご依頼は受けていないとの事でした。それこそご縁があれば・・のお話ですよね。
私の前に来ていた2人はそれなりの時間が掛かり、終え、いよいよ私の番です。子供の頃から頻繁に<霊能者系>の方と話をする事も多かった私ですが、あまり期待もなく・・しかしこの時ばかりは違いました。何せ、ブラックホールですから(笑)後にも先にも、この時は・・気合と期待でいっぱいでした(笑)。
先輩が、<この子がお話した子よ>と紹介し、前に・・。ところが・・この後の一言が・・。
「うん。間違いなく、君はたかのめ持ちだね。」
「????・・たか??のめ??ですか??」
「そうだよ。鷹の目。」
「あのぉー・・」
「だから言う事はないよ」
「えっ!」 これでお終いにされてはたまりません。
「鷹の目ってなんでしょうか?私今、とても悩んでいるんですが・・、霊視の仕事を続けていく自信もありませんし、何をするべきかも見失いそうなのですが・・」
思えば、自分から初めて霊視をする側ではなく、される側として立ったのです。これまでは呼び止めたれたり、子供ゆえに連れて行かれたり・・。
しかしその方は本当に優しい笑顔と裏腹に
「何を悩んでいるの?君はね、完璧な状態でこの世に出されてるからね。悩んだりするのはおかしいよ、何も心配ない。これからも今までどおりでいい。鷹の目なんだから・・」で、次の人に・・。

物の何分の世界です(笑)この時私は本当に、言葉も涙も出ませんでした。すべてから見放された様で・・。
<何で??皆、相談しているのに、私だけこんななの・・視れないと言われた方がまだいい・・。鷹の目・・私は鳥なのか・・?大体、私のどこが完璧なのよ!人にない能力だってなんの役に立つのよ、自分の為には使えないようなもんじゃない!大切な人が死んでもその人には逢えず、他の霊見るなんて・・。因果以外何なのよ。つまり、私は一人で生きていけって事ですね。誰も助けてくれないんですね。>
立ち直るつもりが、更にマイナスの感情がこみ上げて来ます。あまりの事に怒りも感じず、力が出ず、思考能力もなく、私はその後なんででしょう(笑)先輩と、その方と3人で食事までしてしまいました・・。

始終、笑顔のその方は、以後その話題には触れず、雑談しながら食事を終えて、帰り際私に
「きっと君にはもう逢わないと思うけど・・今日は会えて本当に良かったよ。君に会いに来たようなもんだから・・。」
と追い撃ちの様に言い残し先輩と去っていきました。私にはその時点では、死の宣告を受けた様でもあり、絶望感だけでしたから・・でも、その方に対しては不思議と何故か、不快感や不信感はなかったんですよね。家に戻り、それなり考えましたが・・落ち込みは相変わらず、むしろ増えている。
しかも深夜から40度近い熱に見舞われてしまいました。翌日は約束があったのですが朝になっても熱は下がらず、断りの電話を入れ、うとうとしていると先輩から電話が来ました。
「今、何してるの?昨日あれから、彼に頼まれた事があってね、それで出かけなければいけないのだけど、貴方も一緒に行く様に言われたのね。」
「今、熱があって約束も断ったので無理です」
「そう・・でも行けるはずだから一緒に行くようにって彼に言われてるのよね。行きましょう。運転は私だし寝ていればいいから・・」 何て強引な話なんでしょう!でも普段はそんな無理をいう様な人ではないんですよね。
彼は私と別れた後に翌日の私のスケジュールまで決めていたのかぁ!?昨日からの何かもう良く分からない流れと熱で結局、行く事になったのです。

本当に不思議な事に先輩が迎えに来た時にはあれ程あった熱が下がってしまったのです。行き先を聞いてまたまたびっくり!遠い!遠過ぎる!3時間は掛かる!しかも山奥で・・。聞いた事があるような無いような・・でも私は行った事がないお寺と神社の名前。これはもう小旅行です。
諦めて後部座席でゆったり休みながら・・熱の後で喉が乾いているのでジュース買いながら向かいました。

都会の景色から段々と山の景色に変わり始めて、これが最後のお店かなという所で又、ジュースを買っておこうと車から降り戻ると、後部座席に誰か・・。勿論、この世の方ではありません。お坊さんです。行脚・巡礼スタイルと言うか、四国巡りスタイルというか・・白の衣装に菅笠、甲掛け・・杖・。目が合う間もなく、「ご案内にお供致します」と一言。私も後部座席ですから・・当然無口になりますよね(笑)先輩が「具合悪いの?大丈夫?」と。
実は・・と説明すると、「いやー!見えない!いやー怖いよ!!」その後泣きながら運転していました。
彼に頼まれてお札を頂くことになっているのですが、先輩も道知らないんですよね。その頃はナビもないですし、地図片手に何とかしていたのですが、どんどん山道になり、すれ違いもやっとの道で・・それ以前に人も車もほとんどないのですが・・。

本当にこの道?と思い始めた時そのお坊さんがスーと消えて、前を見ると山の間の道を歩いています。その後に続き、進めると突き当たりにお寺があったのです。もうそこにいないと分かれば先輩もげんきんなもので、「助かったね。道案内してもらって」です。(笑)

目的達成の為先輩はお寺にいそいそ入っていきます。私はお寺の横側の場所が気になりそこに向かいました。山の中ですから少し登る様にして・・。そこは何とも言えない神気の様なものが溢れていて・・、<この辺りの山自体が聖域なんだな・強い良い気が集まっている霊山なんだな・・。>と痛感し、感動してしまいました。
「ちょっと!来て!早く!」先輩に呼ばれて行くとお寺の中に銅像が・・。見ると道案内をしてくれたお坊さんと同じ様な姿です。本当に偶然ではなく、案内をしてくれたのです。

何故か自分の中で霧が晴れていく様な気持ちになりました。程近い神社も無事寄り帰る頃には言葉ではなく、心というか魂の中で海外から来て私に逢ってくれた彼の言う事が分かり始めていました。そしてその出逢いに感謝するようにも・・。
鷹の目が何か、どういう意味か、完璧が何か・・。それは分かりませんが、言葉でなくそれらの事が理解出来たのです。熱も偶然ではなかったと・・。私の中で何かが変わり、見え始め、迷いも無くなっていきました。

さてその後、彼が言った様に現在まで、彼にお会いすることはありませんしこれからもないのでしょう・・。先輩ともお互いの環境の変化等、疎遠になってしまいましたが、元気だとは聞いています。
そうそう、その日から何日か後こんな事もありました。亡くなった知人が現れ、私が「会いたかったのよ」と言うと笑いながら、でも少し寂しそうに、「うん、知っていたよ。でもこの鳥居はもうくぐれないから・・。」彼と私の間には、大きな鳥居があるのです。
そして私が泣いていると「心配ないよ。君は大丈夫だからね。」と言うのです。どこからかともなく鳥居の前に立派な黒馬が来ました。<もう、彼は旅立っていくのだ・・>そう分かり、辛くても見送らなくては・・彼もきっと私を見守ってくれるから・・。
もうこの世では逢う事がないけれど私には本当に大切な人でした。良い出逢いでした。またいつかどこかで逢えるのだろうと・・そう思えました。でも落ち着いてそう見送る事が出来たのも、<鷹の目の出逢い>があったからです。迷いから道を見つけることが出来た私に、こうして別れを言いに来てくれたのでしょう。

それからというもの、ご依頼も意欲的にこなせる様にもなれましたし、時間や体とも上手く付き合えるようになれました。今日まで様々な出逢い別れがありましたが、今、私がこうして生きていられるのは、出逢い、別れを私なりに活かして来れたからだと思っています。
これから何かあってもきっと・・。出逢い、縁は時間や感情を超えた所で用意されている場合もあるものです。PCやメール等・・今は沢山の出逢い方も増え、わかり辛いかもしれません。人生の道標は、出逢い、別れの中に用意されているのかも知れませんね・・。
何一つ、偶然はないのですから、出逢い、そして別れる時の潔さ・・これが新しい何かの道標になる・・皆さんにこの事が伝えられればと、今回は長い長い文になってしまいましたが、私の一つのお話をしてみました。

皆さんにも今、用意されている出逢い、別れそしてまた出逢い、それを生かしながら生きてほしいと・・願っています。
ちなみに私は鷹の様にきりっとした目ではありませんよ!どちらかというと大きなたれ目です・・。
今回はここまで・・。